大学で月1回行われている講義に参加している仲間と、熊本地方裁判所に行きました。
講義では、裁判方法や弁護士の歴史などいろいろ学んできましたが、実際の様子を見ることで更に理解を深めようと、企画していただきました。
裁判所は初めてどきどき
お堅い雰囲気がありましたが、誰でも気軽に出入りできます。
その日に行われる裁判が掲示板に張り出されていて、和解とかでなく弁論と書かれているものだけ傍聴できます。
この日最も重い殺人&死体遺棄事件の刑事事件の裁判を見学しました。
重々しい静寂の中、ニュースやドラマでしか見たことがない裁判官がいて検事がいて弁護士がいて被告人がいて・・
検察官の激しい質問、弁護士のフォロー、大勢の前で隅々まで突かれる被告人の心境。
見ていても痛々しく、苦しいものがあります。
きついです。壮絶です
ひとつひとつ緊張して見入りました。
裁判員裁判で、8人の裁判員がいました。
私達傍聴席からも証拠書類や写真、弁護内容が大きなスクリーンで見られるのですが、死体部分は消されてしまいます。
でも、裁判員たちはすべてをしっかり見なくてはいけません。
真剣に裁判に取り組むのは当然ですが、相当の覚悟が必要です。
今は、8500人に1人の確立で選ばれているそうです。
どの裁判に当たるかは、くじで決まるそうです。
今回の事件は、ひとつ間違えば誰でも起こりうる身近な出来事で、残念な気持ちで一杯です。
誰かがどこかで手を差し伸べていれば・・・
ひとりで抱え込まないで誰かに頼っていれば・・・
被告人が、真面目で責任感が強く優しすぎたのが仇になった結果でした。
何でも相談できる家族や友人、助けてくれる環境、周りの人達のちょっとした思いやり、大切だと思いました。
この事件、とても気になってしまい、行ける時は行って傍聴席に座りました。
そして、、、連日に渡り行われた裁判の判決が出ました。
私が予想していた以上に情状酌量の余地はなく、重い刑が科されました。
社会体裁を守ろうとした身勝手な犯行と判断されたことが原因でした。
職場や周りの人に迷惑をかけたくなく、誰にも相談できず苦しんでいただけなのに・・ただその解決法が間違っていただけ。
たとえいい人だからといっても・・・すべては”行った結果”です。
何があっても、人を殺めてはいけないのです・・
でも、杓子定規にいかないことの方が多い世の中。
納得いかないのは私だけでしょうか・・
12年という長い刑期。
刑期は、その人が更生するための時間じゃないのでしょうか・・
被害者、加害者、それぞれの家族が泣いていました。
私も切なくて涙が溢れてきました。
ここにひとつの大きなドラマがありました。
人生、いつでもいくらでもやり直しはできます。
今からがそのスタートだと思って、新しい道を歩んでほしいです。
裁くことによって、ひとりの人生が決まります。
被害者や加害者に関わっている人達の人生も背負っています。
情に流されず、でも情の部分も必要で・・・
人が人を裁くことの重大さをひしひしと感じました。
社会のありかたを考えさせられ、とても勉強になりました。
全ての裁判において言えることですが、勝っても負けても、争うという後味の悪さは必ず残るはずです。
ひとりでも多くの人が、こんな裁かれる場に出ることがないよう願うばかりです。。
p.s先週TVに映ったもうひとつが、この裁判所の様子。
夕方のニュースに私の後姿が映りました。